奈良の地場産業を「着る」井上企画・幡【奈良のギモン】

 奈良の地場産業として知られる蚊帳。虫を通さない一方で、風を通すという特徴があります。江戸時代までは上流階級に限られていましたが、木綿の蚊帳が普及した明治時代以降は庶民にも広がりました。

奈良は古くから奈良晒など麻織物、さらに綿織物も生産が盛んで、蚊帳生地でも全国有数の産地となりました。

しかし、経済産業省の工業統計調査によりますと、奈良県の繊維工業の製造品出荷額は、2008年には800億円を超えていましたが、2019年の調査では約641億円にとどまっています。

奈良県織物工業協同組合の組合員数は、1963年の5分の1にまで減少しました。

厳しさを増す奈良の繊維業界にとって、新たな需要の開拓が必要となっています。こちらは奈良市に本社を置く井上企画・幡の直営店です。

この会社は、大和路の風景を撮影し続けた写真家の故・井上博道さんと、奈良晒の老舗に生まれた千鶴さん夫妻が1987年に創業しました。

この会社では今、ある製品が主力商品として注目を集めています。店に並ぶ色とりどりのシャツや、カーディガン、ワンピースなど…。実はすべて蚊帳生地でつくられています。

この会社では約10年前から蚊帳生地で作った衣服を販売していて、ふきんなども含む蚊帳生地の製品は、雑貨の売り上げの7割にのぼるといいます。

井上さん夫妻の娘で、代表取締役の林田千華さんは、生活に寄り添った良いものを作っていきたいと話します。

代表取締役 林田千華さん
「衣食住を豊かに、その豊かにっていうのは、モノで溢れるとかではなくて、素材の良さであるとか、ゴージャスでなくて全然いいと思いますし、そういったことを表現したいというのが弊社のコンセプトです。」

しかし、元はインテリアであるはずの蚊帳をファッションに取り入れた背景、商品誕生のきっかけは意外なものでした。

林田さん
「私の娘がいるんですが、(娘が)着る服はよく私手作りで作っていたこともあって、こんな柔らかい蚊帳の生地で作ったらどうなるのかなと思って作ったのが一番最初だったんです。」

そのシャツがこちら。
林田さんが注目したのは、当時店で販売していた蚊帳のふきんでした。

風通しと吸水性に優れ、洗濯するたびに肌にやさしくなじむ風合い。蚊帳生地は衣服へとかたちを変えても、夏にぴったりの商品となりました。しかし、当時誰も挑戦したことがなかった蚊帳生地での服作り。開発には2年程かかったといいます。

林田さん
「(蚊帳)生地は粗いので、ちょっとしたひっかけとかにも弱いですし、これでは商品にならないんじゃないかっていう声もありましたし、いろいろとテストをしておりました。」

井上企画・幡はことし2月、奈良県が海外展開に力を入れている中小企業を表彰する「リーディングカンパニー表彰」を受けました。

2011年頃から商品を海外でPRしていて、過去にはフランスで開催された展示会にも参加。徐々にですが海外にも広がり始めています。素材の良さに加え、商品には柿や墨、鉄紺など、日本の色の名前が付けられています。

林田さん
「まず蚊帳の説明をするときに『モスキートネット』って言えば、みなさんよくわかってくれました。『色きれいね』から始まってくださるっていうのは、意図していたことではないのですが、すごくうれしかった。日本の伝統色をメインに(色を)付けておりますので、そこから日本らしさっていうのも伝わってなんか嬉しいなと思ってやっております。」

ファッション業界は大きな環境問題に直面しています。低価格で購入できる服、いわゆる「ファストファッション」の台頭により、大量生産・大量消費、そして大量廃棄が問題となっています。環境省によりますと、衣服を作る際に排出される端材は年間で4万5000トンと推計され、これは約1億8000万着分の生地と言われています。

今、林田さんは蚊帳生地を使った持続可能な衣服づくりに挑んでいます。それは蚊帳生地の端材に新たな価値を与える、いわゆる「アップサイクル」です。これまでは裁断で余ってしまった布は廃棄していましたが、今後は端材や古着を集め、もう一度綿に戻し、糸にしたうえで再び織り上げるというものです。

SDGs(持続可能な開発目標)の推進が叫ばれるなか、林田さんは企業として「つくる責任」を考え、今年秋の発売を計画しています。

林田さん
「いつの時代でもいい素材やねとか、デザインすてきやなとか、あんまり他でないよねとか、そういうことを思ってもらえる商品でありたいなって思っています。」

奈良が誇る地場産業、蚊帳。時代の流れとともに家庭からは姿を消しましたが、独自の視点から衣服として生まれ変わりました。伝統に留まらず、時代のニーズに対応することで人々を魅了し続けます。

※この記事は取材当時の情報です。

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